三すくみ

「あなたという存在は、僕たちにとってとても重要な役割を持つんですよ」
 そう古泉に言われて、キョンは胡散臭そうにその顔を見つめた。
 古泉の言葉は、その前にキョンがぽつりと呟いた「だったら俺は一体なんなんだろうな?」という言葉にかかったものだ。
 言葉のニュアンスはひどく自嘲気味で、悲観的なものであったが、それを言葉にした当人は何の気になしに口にしたにすぎない。
 未来人の先輩。宇宙人と超能力者の同級生。
 それらは不思議な能力を持っている一人の少女によって、作り出され、集められた存在だったが、ただ一人、自分という存在の意味がいまひとつわかりかねていたキョンは、ふと疑問を呟いてしまったのだ。
 これを聞いていたのは古泉一人。そもそもそのつもりはないにしても、このような弱気のような台詞は女性には聞かせたくないもので、古泉にしかぶつけられない疑問でもあった。
 キョンの言葉に、古泉はいつもの笑顔を二倍増しに深めて前述の言葉を返したのだ。
「あなたがいない我々というものを、考えたことがありますか?」
「あ?俺がいないSOS団か?普通に成り立つんじゃないか。どうせハルヒがいる限りは、強引にいつもどおりにことが進むだろ」
 あの弾丸のような力強い少女は、こうやって望みどおりの者たちを自力で見つけ出してきたのだ。そもそもこの三人に関して、キョンは一切ノータッチだった。
 ハルヒが見つけ、ここに引きずり込んだ。それが彼ら三人が意図してそのように彼女に近づいたとしても、最終的にはハルヒの意思がこの三人を仲間にしたのだ。
「そうですね。あなたがいなくても、きっと我々はこの場に介していたでしょう。しかし、涼宮さんの目の届かぬ場所で、僕たちは確実に互いを牽制し、その存在を抹消しようと目を光らせていたに違いないんです」
「…おい、随分物騒な話だな」
「僕らはもとより、異なる、そして敵対する位置に属している。それはあなたもわかっていたと思っていましたが?」
「いいや、俺にはさっぱりわからん」
 わからないと言いながら、キョンは薄々感じていた事柄を古泉に突きつけられ、胃の奥がきゅっと痛んだ。
 こんなに穏やかに過ごす、仲間と言っても過言ではない三人が、相手を滅しようとしているだなんて。
 古泉は不快そうに視線を反らすキョンを見て、穏やかに微笑む。これは作り物の笑顔ではなく、心の底より彼を好ましいと思ってるが所以の微笑みであった。
 彼は本当に純粋だ。これまでの人生を誰かに庇護されながら生きてきていて、きっと誰にも裏切られたことなぞないに違いない。
 だから、彼は自分たちの心の拠り所になるのだろう。
「我々は、いわゆる三すくみの状態だったんですよ」
 あなたという存在がなければね。
「蛙とナメクジと蛇か?」
「そう、動くに動けない状態です」
 キョンは一体誰が蛙でナメクジで蛇なのだろうかと、古泉の比喩に一瞬考え込んだ。
「どうしました?」
「いや、俺は朝比奈さんが蛙だとしても、童話みたいにチュウしてその呪いを解いてやれる自信があるなと思っていただけだ」
「おや、では蛇は長門さんでしょうかね」
「おまえがナメクジか。のらりくらりとしていて似合いだな」
 それはひどい。キョンのひどい言葉に、ナメクジ呼ばわりされた男はただ笑うだけだ。
「それで、俺はその三すくみの中のなんなんだ?」
「さて、何というわけではないのでしょうけどね。ただ、この三すくみの我々の緩和剤であると言えるでしょう。涼宮さんの暴走を止める鍵。随分と重要な役割じゃないですか」
 キョンは鍵と言われて眉間に皺を寄せる。まるでハルヒの番人のように言われるのを彼は好まないのだ。それを知っていながら、この古泉という男はそれを口にする。
 自分達、自分にとってあなたはとても大切な人なんですよ、と言った舌の根も乾かない側から、あなたは涼宮ハルヒの物なのだと言う。
「鍵とか言うな…」
「困りましたね。あなたにはもっと自覚してもらわないと」
 キョンの十八番である「やれやれ」を先に言う古泉に、キョンは何だか悲しい気持ちが湧き上がってくる。
 潤滑剤、鍵。これでは、未来人、宇宙人、超能力者には見劣るするではないかと。
「おまえなんか、ナメクジで十分だ。超能力が使えるナメクジだ、おまえは」
「……では、鍵でも潤滑剤でも嫌なあなたは、一体何なんですか?」
「塩だ」
 こんなくだらない三角関係を清める塩だと彼が言う。
「それでは、僕が唯一消えてしまうようですね」
 僕は、本当にあなたという存在にだけは弱いんですよ。
 そう言って、ナメクジは塩にあてられて水になって消えてしまう運命なんだと古泉が微笑みながら言うので、キョンは無性に腹が立ってナメクジ男の頭を、軽く殴りつけた。
 勿論、水になって消えたりはしなかった。