「じゃ、ちゃんと「一樹くん」を育てるのよ!」
「ああ、わかったわかった」
はて?僕の名前が出たような。これは、この二人の会話に僕も混ざるべきなのではないだろうか。
「あの?」
僕が問いかけると、待ってましたとばかりに彼女が満面の笑みを僕に向けた。ああ、聞いてほしかったんですね、僕に。
先ほどまで仲間はずれのような気持ちを味わっていたのに、一気に仲間に引き入れられたようで、現金なことに僕はすぐに優越感を味わいだしていた。
「うふふ〜、またねクラスの子にゲームを借りたのよ!」
「あ、…ああ」
その言葉の一つだけで、僕はすぐに合点がいった。前にもこんなことがあったからだ。
「ったくよう、こういう乙女ゲーはおまえがやれよ。一応まがりなりにも乙女なんだからよ。おまえも言ってやってくれ、古泉」
「やあよ。そういうゲームってまどろっこしくて好きじゃないんだもの」
「じゃあ何か?俺は好きだとでも言うのか?」
それは不本意だと言わんばかりに、彼が仁王立ちになりながら腕組みをして彼女を睨みつける。そんなことで臆する彼女な筈もなく、けらけらと笑ってみせるばかりだ。
「まさか。趣味乙女ゲーとか言い出したらキモイわよ!」
「悪いが、お前のせいで今に俺の履歴書にそれが書き記される日が今にきそうだ」
「いいじゃな〜い。今度のはかなり古泉君っぽいって話なのよ!あの子、声フェチよね〜」
はははは、僕という当人を目の前にして、結構かなり恥ずかしい話をしていらっしゃいますよ、涼宮さん。
「あの、また、なんですか?」
「あ、ああ。まただ」
前回も、僕の声に似ているという理由で、彼がいわゆる女性向けの恋愛ゲームを彼女にやらされていたのだ。是非聞いてみたいからセーブデータを持ってこいという厳命で。
彼はそれを「まあ、いいか」という理由だけでやっていた。しかも、主人公を「キョン」という名前にしてだ。それを僕に見られても気にも止めない彼に、こっちのほうが恥ずかしくなってしまったくらいだ。
彼はちょっとだけ、そういう羞恥心がない。
「あの…?また、あなたの名前でプレイするんですか?」
恐る恐る聞いてみれば、それには涼宮さんが答えた。
「もっちろんじゃない!今回もキョンでやるのよ!あれはかなり笑えたからね!今度はみくるちゃんや有希にも見せるんだから〜」
「…なんだとさ」
ああ、もう。あなたはなんだってそう受身なんですかね。このメンバーの中で唯一涼宮さんに意見できる人間だというのに、こういうところでの彼の受身ぶりは、清清しいまでに徹底している。
不思議にも思えるし、その受身ぶりに少しだけ僕は不安にもなる。
僕との関係は、その大らかな受身な性格故に受け入れられているのではないのだろうか、という不安が僕を襲うのだ。彼が僕を好きだと言ってくれても、それは僕が好きだと彼に押し付けているから、それに反応してただ返してくれているのではないのかと。
不安が、彼を見る目に表れてしまったのだろう。小さな声で「情けない顔すんな」とたしなめられてしまった。そして、仕方がないと言わんばかりに苦笑すると、唐突に言い出してくれた。
「おまえ、今日バイトだって言ってなかったけ?時間大丈夫なのか?」
え?
「あれ〜そうなの?大丈夫?古泉君」
「……あ、そうでした。では、僕もそろそろ失礼しますね。涼宮さん達は、どうしますか?」
「有希、もう帰る?」
「まだ、途中」
長門さんが厚い本を涼宮さんに見せて、ぷるぷると首を横に振った。確かに、いつもの帰宅時間を考えればまだまだ早い時間だ。先ほど朝比奈さんに淹れてもらったお茶とて、まだ温かい状態なのだ。
「そうね、あたしもまだ帰らないわ。じゃあね、二人とも。キョン、楽しみにしてるわよ〜」
「はいはい。そんじゃ、お先」
すたすたと行ってしまう彼の後を追うように、「では、お先に失礼します」と早口に言って、既に閉じられてしまった扉を慌てて開けると、彼が僕を待つように廊下に立っていた。
「あ…」
「ったく、おまえさ、そういう顔、人前で見せるなよ」
彼の言うそういう顔とは、きっと先ほど垣間見せてしまった、不安に満ちた僕の情けない表情のことなのだろう。
「…すみません」
「おまえさ、そういうふうに不安そうにするなよな」
僕のポーカーフェイスなぞ、長門さんの無表情の中に感情を読み取る能力に長けている彼には通用することはないのだ。やっぱり僕はもう一度、ただ「すみません」としか言えない。
「…あなたを信じられないわけじゃないんです。ただ、どうしようもなく不安になってしまうんです」
嘘だ。僕は彼が信じられない。信じられないから、こうやって彼の愛情を確かめるかのように、情けない自分を曝け出すことしかできない。
そんな僕の態度に、彼が「はあ」と深いため息をついた。さすがに呆れられてしまったかもしれない。ため息というものは、他人に不安感か不快感を与えるという。僕は彼に不快感なぞ感じることはないので、ただただ不安感だけが胸に広がってしまう。
「おい、古泉。ちょっと顔貸せ」
「なんですか?」
まるで一昔前の不良みたいな台詞ですね、なんて茶化してみれば、文字通り彼にぐいと顔を引き寄せられた。どうやら体育館裏に来いとかいう類の顔を貸せではなかったようだ。
彼の顔がぐいと近づけられ、次にごちんと頭突きをされた。星が目の前をチラつく。
「いった〜、な、何をするんですか?…んっ」
痛みに涙を目尻に浮かべて抗議すると、今度は唇を塞がれた。痛みと甘さにくらくらしていると、ちゅっと音を立てて彼が離れていく。もっと近づきたくて手を伸ばしたが、それはするりと避けられてしまった。
「あ、あの。今日、僕の家に来ませんか?」
「駄目だな」
にべもない言葉。悲しい。
また顔に出てしまったのだろう、もう一度だけ唇が寄せられた。ああ、そうやって僕が不安になる度にキスしてくれればいいのに。何度も何度も、そうやって僕に不安の「ふ」の字も思い浮かべられないくらいにしてください。
なんて、そんな僕の甘ったれた感情を彼は簡単に切り捨ててくれる。彼の愛情はやはりスパルタ方式なのだ。
「俺がなんで今日早く帰らせられたのか忘れたのか?俺は「一樹くん」を育てるミッションが待ってるんだよ」
大体、今日中に終わるかも怪しいってのに、とぶつぶつと彼が言っている。
「あの〜?今回はどんなゲームなんですか?」
「息子育てゲーム。カオスだろ?」
少しだけ肩が落ちているように感じるのは、きっと僕の気のせいではないだろう。
「最近の乙女ゲームは、随分と色々あるんですねえ」
「男子高校生の俺が、何の因果で息子を3歳から18歳まで育たないといけないんだかなあ。大体、この後にはどうやら俺には女教師のミッションも待ち受けているらしいぞ」
それもこれもおまえのせいだと、唐突に怒りを顕にしてこめかみをぐりぐりと拳でえぐられた。ううう、なんだかすみません。
「でもまあ、今回はまだ恋愛はやらんでいいらしいから、まだいいか…」
どうやら僕に似ているというそのキャラクターは息子役らしく、涼宮さんとしてはそのキャラさえ見れればいいので、付随する恋愛モードは特にやることなしとお許しを得ているらしい。
「今日は平日だしな。というわけで、俺は今日はこれを集中してやらんとならんので、とりあえず今日は勘弁しろ」
明日は土曜だから泊まりに行ってやる、なんて嬉しい言葉を最後に彼は小走りに坂を下って行ってしまった。
置いてけぼりにされてはしまったけれども、明日を約束してくれた。本当に、彼は僕の扱い方がよくわかっている。
嬉しい。
そして、彼が、とても好きだ。
綺麗な夕日を眺めながら、この好きだという感情を、しみじみと噛み締める。
僕は、きっと彼が色々やらされているゲームの主人公よりも、乙女じみているに違いない。なんて思いながら、くすりと小さく笑った。
「おう、ほら、セーブデータとゲーム」
「あら、二日くらいかかるかと思っていたわ」
次の日、少し眠そうな彼が涼宮さんに例のゲームを手渡していた。
「少し手間取ったけどな。途中で何回も声変わりするから、その度にリセットしてやり直したんだ。感謝しろ」
「手際が悪いんじゃないの〜」
声変わりという声優が途中で変わってしまうシステムらしい。
「お疲れ様です」
「ああ、実際、二時までかかったぜ。くそ」
本当に眠そうだ。彼はあまり夜更かしをしないタイプなのかもしれない。きっと僕なら、別に時間指定もされていないような指令ならば、ぎりぎりまで先延ばししてゆっくりとダラダラと進めるだろうに。
「俺はな。いわゆる「よゐこの有野」タイプなんだ」
なるほど。やり始めたら止まらないというわけなんですね。
「お茶でも淹れましょう」
今日は朝比奈さんがクラスの用事でお休みだと連絡あったので、彼を労う為に僕がお茶を淹れてあげよう。すると彼がきょとんとした顔を僕に見せた。
「あ、あの?どうしましたか?」
「…おまえさ、もう一回、言ってみてくれないか」
「え?」
「お茶でも入れるよ、って。あ、このまま一言一句間違えずに言ってみろ」
な、なんだろう。敬語を外して言えといわれると、最近の僕は少し緊張してしまう。この貼り付けている笑顔のように、敬語もすっかり癖のようになっているのに。それでも、有無を言わせぬ様子の彼に押されて、言われるがままに言ってみた。
「……お茶でも入れるよ」
「!?」
彼の不自然な様子に涼宮さんも気がついたのだろう。何か特別面白そうな顔を浮かべて、僕らの様子を見ている。
「あの?」
「おまえ、ちょっと、少しだけ高めの声で「お母さん」って言ってみろ」
「え、ええ?なんなんですか、一体」
「いいから、言ってみろって」
一体、誰に対してお母さんと言えと言うんですか?え?あなたに対してなんですか??この展開におろおろとしそうになったが、涼宮さんの「さっさとやれ」オーラが発せられているのを感じて、僕は彼の望みどおり、その単語を口にした。
「お、お母さん…?う、うわっ!?どうしたんですか?」
なんということだろう。僕は彼にぎゅうっと抱き締められていたのだ。
彼女の目があるというのに、なんて行動に出るんだこの人は!?目を白黒させて、本来ならば嬉しい筈のこの行為を戸惑うことしかできない僕の後ろで、涼宮さんが面白そうに叫んでくれた。
「すごいわっ!キョンに母性本能が目覚めたわ!」
キョンはHP230上昇した。MPが100上昇した。母性本能が装備された。
ピロリロリ〜ン♪
レベルアップの音が聞こえた、と思ったら携帯のアラームだった。
そこは部室でもなんでもなくて、僕の部屋。
「ははは、夢でしたか」
彼に母性本能が目覚めるだなんて、どんな夢なんだか。我ながら昨日の会話だけで想像しすぎだとベットの中でひとしきり笑ってしまった。
放課後、いつもどおりのSOS団。彼が夢の中のように眠そうに涼宮さんにゲームとメモリカードを渡していた。
「お疲れ様です」
「おう、二時までかかっちまったぞ」
まるで夢の中の会話のようだ。でも、本当に疲れているようだったので、僕はいない朝比奈さんの代わりに(やはり、ここも夢のままで)お茶を淹れる為に立ち上がった。
「お茶でも淹れますね」
彼の目線がぴたりと僕に止まった。
そして、ぽつりと呟く。
「なあ、もう一回言ってみてくれないか?」
……夢、ですよ、ね?
僕は嫌ですよ。あなたを「お母さん」と呼ぶだなんて。
ええ、絶対にね!