12月23日


 あの三日間が本当にあったものなのか、危険なことに俺の中で夢のように思えてしまう一瞬だった。退院して、どうせもうあと二日間しか学校に行かないのなら行かなくてもいいんじゃないのという家族に苦笑して、俺が教室に四日ぶりに足を踏み入れた瞬間だ。
 俺の怪我を知っていたクラスメイト達は、口々に心配をしていたと言ってくれて、俺は入学して約九ヶ月を共に過ごしたこいつらに、ちょっと友情すら感じてしまったくらいだ。
 そんな俺の様子をハルヒは黙って見つめていて、俺が目をやれば「仕方がないわね」てな具合で珍しく穏やかに笑っていた。目のクマはきちんと取れているな。俺が目覚めた時に隣に寝袋で寝ていたこいつの目の下には、美人が台無しになるくらいの真っ黒なクマがあったのだ。今はそれがない。
「よ、ハルヒ。おはよう」
「おそようよ。三日も寝てたんだからね」
 ぷいと横を向いて窓の外を眺めているハルヒを眺めながら、やはりあの改変された三日間がやはり夢のようだと思える。
 だがな、あれは忘れちゃいけないことだ。
 俺よ、日常の平凡に紛れて、あの改変された世界を忘れちゃいかん。俺は、またあの世界に行かないとならないんだ。俺を助けるためにもな。
 しかし、本当に戻ってこれてよかった。俺が寝ていたという三日の間、こいつらには随分と心配をかけてしまったようだし。
 あの目覚めた瞬間を思い出す。
 ハルヒは怒りながらも、心配していたという瞳の色を俺に向けていた。
 朝比奈さんは隠さずに、大泣きしながら俺を心配していたと言ってくれた。
 長門は…。
 長門は、違う意味ですごく心配をしていた。おまえのせいじゃないのにな。
 こんな風に、俺は俺の周囲がどれだけ俺に優しくしているのか、身をもって教えられたのだ。
 しかし、俺はただ一点だけ不満がある。
 古泉一樹のことだ。
 あいつは俺が目覚めた瞬間に側にいた。なのにこれっぽちも心配している素振りを見せてはいなかったのだ。第一声が「おや」だぞ。あの気のない「おや」の声を俺は一生涯忘れん!その後は、三日ぶりに目覚めた俺に嬉しそうにすらせず、いつも見せる穏やかな微笑を浮かべるだけだったのだ。
 つまりは俺のいわゆる「消失」など、あいつにとっては取るに足りないことだったというわけだ。寝ている俺の隣に座って看病らしきことをしていたのも、ハルヒの命令と、仲間を心配してますというポーズ。そして腹立たしいことに、機関としての監視としていたに違いない。
 あ〜、なんか思い出したら腹立たしくなってきた。今日は、放課後の部室であいつに会ったら、開口一番文句を言おう。言ってもいいはずだ。俺にはその権利がある。
 いつもの俺ならば何か事件らしきことがあれば、古泉に(長門にもだが)は冷静な意見をもらうためにその話をしていたものだったが、今回ばかりはあいつに改変された時の話をする気になれない。
 あんな奴は、ハブってやる。
 放課後、さあてあいつにどんなことを言ってやろうかと文芸部の部室の扉を開いた俺は、古泉に盛大に文句を言ってやったかと言えば、結局何も言えなかったのだ。
 仕方がないだろう。
 長机に突っ伏して珍しく居眠りこいている古泉がそこにいたのだから。
 珍しいな。あまりの珍しさに、俺はもたげていた不満がどこかにいくのを感じていた。そりゃあ、不満も消し去るな。
 おまえ、その目の下のクマはなんなんだ?昨日それはあったか?単に俺が古泉の顔をろくすっぽ見てなかったから気が付かなかっただけなのか?いや、俺はこいつの胸糞悪い微笑を見ていた筈だ。じゃあ、なんだ。おまえは昨日一晩でそれをこさえたとかいうわけか。俺が目覚めて機関に報告書でも徹夜で作っていたのかね。
 それはそれで腹立たしい。もう、こいつの顔にいたずら書きでもしてやろうかと考え始めていると、なんだか有り得ないものがこいつの目からついと溢れ出た。それから、唇からもぽろりと零れ出た。
 ああ、なんなんだおまえは。まったくもって腹立たしい。
 なんでおまえは俺の名前を呼びながら、泣いているんだ?わけわからん。
 俺はこんなわけのわからない現象をこれ以上見ている気にもならずに、古泉の肩に手をかけて揺さぶった。大体、こんな様子をハルヒに見せでもしたら、おまえの今までの努力が無駄になっちまうぞ。そつなくなんでもこなす副団長としてよ。
「おい、古泉。起きろ」
 さあ、起きろ。今すぐ起きろ。さっさと起きろ。
 起きて、またいつもの笑顔を貼り付けろ。
「…あ」
 おい、俺を見てその顔はなんだ。おまえが定番の笑顔を見せないと、俺だってどう対処したらいいかわからなくなるだろうが。
 古泉は俺を確認すると、自分が涙を流していたことにも気が付かず、出来損ないの笑顔を見せた。
 いいか、おまえは自分が綺麗な顔をしているってことを自覚しろ。そんな泣き笑いを見せられると、ちょいと儚いとか思ってしまうだろうが。大体、俺が目覚めた時にそういう顔をしてみせればいいものを、どうしておまえはそう本音がいつだって後回しになってしまうんだ?
「……おかえりなさい、と言うのが正しいような気がしますね」
 そう言って、古泉は心配と安堵と、まだ目の前に俺がいるのが信じられないとでもいうような泣き笑いの顔を俺に見せつけるのだった。

 …ったく、バカ野郎が。