初恋


 おお、すごい。
 いや、窓の外の木の葉が、上や下へとひらひらと落ちたり吹き上げられたりしているのだ。色づいた木も、今日の強い風のせいですぐに丸裸になってしまいそうだ。
 朝比奈さんに淹れてもらった玉露を飲みながら、季節の移り変わりにしみじみとしていると、まったくそんな状況とは関係ない質問がハルヒから剛速球で投げつけられた。
「ねえ、キョンの初恋っていつだった?」
「あ?」
「初恋よ、初恋!」
 この大暴投の球はきちんと受け取らないとならんのかねと、目の前の古泉をちらりと見れば、意味深に微笑まれた。どういう意味の笑顔なんだ、このイエスマン古泉め。
「なんだっていきなりそんなこと聞くんだよ?」
「あんたが来る前にみくるちゃんにも聞いてたのよ。初恋いつだった〜?って。そしたら彼女ったら、まだそういう気持ちになったことないなんて言うんだもの!さすが、みくるちゃんは外さない萌キャラだと感心したわよ。今度の写真に『あなたが初めて(ハート)』とかってキャッチコピー入れて売ったら、そりゃもうよく売れるわよ〜!」
「ひゃあああああ!や、やめてくださ〜い!」
 朝比奈さんを対象とした萌ネタは、正直ハルヒのセンスは悪くないと思ってしまう俺だ。口に出しては朝比奈さんの信頼を失うことになってしまうだろうから、肯定の言葉は一つとして発言はしなかったが、それが本当に売られるというのならばこっそり一枚キープしておきたい。
「ちなみに、あたしは幼稚園の時で園児バスの運転手さんが好きだったわ!」
「若い運転手さんだったのか?」
「ううん、結構年はいってたかも。白髪交じりのロマンスグレーだったのよ」
 幼稚園でそれは年上趣味すぎるだろうが、ハルヒよ。
「ほっといてよね。有希も初恋とかはよくわからないって言うし、それであんたはどうだったのよ?」
 いきなり初恋とか言われても、明確なことはあまりはっきりしない俺だ。しいて言えば、あれか?
「あ〜…、俺も幼稚園の頃かな」
 あれを初恋と称するなら、幼稚園に入って間もない頃に出会ったあの子が、俺の初恋と言ってもいいだろう。家に帰るのも嫌だと思うくらいその子と一緒にいたいと思っていたのだから。
「へえ、あんたも幼稚園か」
「俺はおまえとは違って、同年代だったがな」
「あたしは基本的に馬鹿なガキには興味ないからね。優しいおじさまにぐらりとくるのも仕方がないわ」
 その当時は、おまえも幼稚園のガキだろうが。大体、初老のおじさまにぐらりとくる幼稚園児の少女なんぞ、あまり想像できないんだがな。
「古泉君は?」
 俺の答えを聞いて満足したのか、触手はついに古泉にも伸ばされた。それで動揺するような男ではないのがつまらんところなのだが。
「僕ですか?僕も、皆さんと偶然同じに幼稚園の時でしたよ」
 この野郎。俺の美しい思い出を、おまえのものと一緒にするな。
 俺の好きだったあの子は、母親の友人の子だった。病気がちだったから母親にねだって、お見舞いに連れていってもらったものだ。
「僕の初恋の人は、僕の母の友人の子で、当時病気がちだった僕をよくお見舞いにきてくれていたんです」
 お見舞いにはビー玉や、でっかいオニヤンマとか、ヒーローカードとかその頃俺の中で宝物だと思えるものばかりをその子に贈った。
「その子は、病気で外に出られない僕のために、沢山おもちゃやその子が捕ったという虫とかをお見舞いに持ってきてくれて、僕を楽しませてくれたものです」
 …その子はあまり外に出られないからなのか、すごく色が白くて、綺麗で、まるで絵本の中に出てくる妖精みたいで、何時間だってずっと見ていたいと思ったものだ。
「その子は僕とは違ってとても元気に外で遊びまわっていたから、まるでお日様みたいにキラキラしていて、僕はその子と一緒にいると同じように元気になれるような気がして、何時間だって一緒にいたいとよく駄々をこねたものです」
 ……その子の名前は、なんだったか?
 確か、よく俺はこう呼んでいなかったか…いっ…
「その子に『いっちゃん、いっちゃん』と呼ばれるだけで、天にも昇るくらい嬉しかったことを覚えていますよ」

「ふぁああああああ!!!!!!?????」

「な、なによ!?何叫んでるのよ、キョン!」
「い、今、なんか変なフラグたった!!??」
「はあ?まったく意味がわからないわよ」
 この世の終わりみたいな叫び声を上げて、古泉を凝視してみるも、俺の珍妙な行動に驚いたのか珍しく笑顔を引っ込めてきょとんとした顔で俺を見ている。
 ま、まさかだ。俺の美しい思い出に、この男が介入してくる筈がない!そうだ。今日、家に帰ったら母親に聞こう。そうすれば、すぐにこんな変なフラグは解消されるに違いない。
 この偶然の一致に、古泉は気がついていないのだ。これは深く蠢く深淵という闇の中に1tの重石をつけて葬り去るのが一番だ。
 俺が俺の美しい初恋の思い出を、古泉に変に誤解曲解されないように抹消することを心に誓った時、まるで駄目だしするみたいに言ってくれた。
「当時の僕は女の子みたいだったので、きっと彼女は勘違いして優しくしてくれたのでしょうね」
 それでもとても嬉しかったんです。僕の大切な初恋の思い出です。
 なんていつもの嘘笑顔じゃなくて、はにかむような笑顔を浮かべた古泉の顔が、俺の大好きだったあの子に少し似ているような気がして、俺はもうこれ以上このことについて考えるのを放棄した。