さよなら、さよなら、また明日


 さようならという言葉が嫌いです。
 その単語の一つが、未来を予測しているようで、その一言を言うのにいつも躊躇してしまいます。
 僕が皆さんと下校時に解散する際に、いつも「さようなら」と一言言うのに苦労しているだなんて、きっと誰も知らないでしょう。
 いや、もしも知られていたら、きっと呆れられてしまうかもしれません。
 特に、あなたに。
 くだらない感情論なんです。ええ、あなたに言われなくても、僕自身がよくわかっています。
 さようならを言う時期はきっとまだまだ先のことなのに、僕はその二年ないし三年後の別れのことを思って、こんな風にぐずぐずと考え込んでいるわけなんですよ。
 高校を卒業すれば、別れ別れになるのは誰しも同じだというのに、僕はこのSOS団というメンバーが本当の意味で解散になることを、心底恐れているのです。
 この感情は、きっと卒業というイベントを経ずとも、彼女の気持ち次第で僕らのこの関係が全て無にされるかもしれないという薄ら寒い恐怖からきているものなのかもしれないし、もしくは僕が所属している機関の考え次第で、僕だけがこの場からいなくなってしまうかもしれないという可能性を秘めているせいかもしれません。
 しかし、それらの事柄は実際にはあまり起きそうもなく、僕はきっと卒業というイベントまではここにいられるだろうと予測をしています。
 だけれど、僕は「さようなら」を口にするのが、やっぱり苦手なんです。
 何だか先が見えない状態で、このままおしまいと明かりを消されてしまような感覚をいつも味わうのです。
 でも、言わないわけにはいかないし、僕のこの理由のない不安感をあなたにぶちまけるわけにもいきませんので、僕はこんな風に躊躇している自分自身をおくびにも出さずに、爽やかに「さようなら」を言うように努めています。
 苦手なのは変わりませんが、だけれど、何度も言っておけば、本当の意味での「さようなら」を言う時に少しでも免疫がついて、それほど取り乱さずにあなたに「さようなら」を言えるかもしれないでしょう?
 そりゃあ、僕だってあなたと別れ別れになりたいだなんて思っているわけじゃありません。
 きっとね、僕はその時になったら、情けなく泣いて、あなたに縋って、できうる限りに抵抗して、「さようなら」を言わないように先延ばしにかかると思うんですよ。
 そんな僕を見て、あなたががつんと僕を叱りつけるさますらも頭に思い浮かべることができます。
 滑稽な醜態をなるべく晒さないように、僕はこうやって練習を兼ねてあなたに、そして皆さんに「さようなら」と夕日を浴びながら唇に乗せる。

「さようなら」

 うん、今日もうまく言えた。
 本番の時もこういう風に、声を震わせることもなく、微笑みすらも浮かべながら言えるといい。

 なんて一人悦に入っていると、彼の言葉が耳に飛び込んでくる。

「おう、また明日」

 ああ、もう! なんなんですか、あなたは!
 僕が心の内で必死に頑張っているというのに、あなたの「また明日」の一言で全てが台無しになってしまう。
 だって、「さようなら」に返される言葉が「また明日」では、どうやったって未来を夢見てしまうじゃないですか。
 別れ別れになる未来があっても、次に出会う約束をあなたはしてくれるのかもしれない。なんてことを考えてしまう。
 今日も、あなたの「また明日」を聞いて、僕の積み重ねていた意地が、簡単に音を立てて崩れ去る。

 ……ああ、きっとね、僕はその時に「さようなら」を言えません。

 あなたが言う「また」を使ってしまうでしょう。

 さよなら、さよなら、また明日。
 またここで会いましょう。