ねえねえ、古泉くん


 下から僕を見上げる小さな少女。
 大きな瞳は澄んでいて、この世の嫌なものなど見たことなどないようだ。
 その瞳が僕の姿を映しこんでいるのが見えた。じっと見られていることに気が付いて、努めて優しい声を出してみる。努力しないと、きっと気付かれてしまうから。
 僕は小さな子供が苦手だ。
 何も知らないでいられるその存在が。
 保護されることを当然だと思っているその思考が。
 苦手を通り越して嫌いなのだ…。
 それに、彼女は彼の妹。
 僕が今、小さな子供よりももっとも嫌いだと感じている人間。そんな彼の妹とあっては嫌いの二乗で、僕はいつもよりも慎重に彼女に接していた。でないと、「笑顔で優しい気の付く古泉君」という設定が、剥がれ落ちる危険性があるからだ。
 彼が妹を連れてくるせいで、僕は二重の努力をしなければならない。
 まったく、面倒だ。
「どうかしましたか?」
 ニッコリ笑顔で笑ってやれば、彼女は不思議そうな顔をしてやぱり僕をじっと見ている。
 なんなんだ、一体。
「…ねえねえ、古泉くん」
 先ほどから元気一杯に辺りを駆け回って、朝比奈みくるや兄に絡み付いていた様子と打って変わって大人しい、おずおずとした様子の彼女を見て、おや?と思った。
「どうしました、大人しいですね。具合でも悪くなりましたか?」
 それならば、現在この場を離れているこの子の兄に連絡をしてあげなければ。彼は今、涼宮ハルヒに命じられて使い走りをさせられているのだ。
「ううん、元気だよう」
「そうですか?」
 …残念。この機会に彼にこの子を連れ帰ってもらいたかったのに。
 そんなことを考えているだなんて少しも見せずに、僕は彼女と目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「あのね」
「はい?」
 子供の大きな瞳が僕を映す。嫌いだけれども目線なんか絶対反らさない。じっとそれを見返してやると、彼女は少しも怯むことなく僕の瞳の更に深い場所を見るように、瞬きもせずに僕を見つめ返す。
 まったく。こういうところが、この兄妹はよく似ていて、だから嫌いなのだ。
「古泉くんは〜」
「はい?」
 周りに聞かれるのが嫌なのか、彼女は声を落としてこう言った。
「キョンくんのことが、キライ?」
「!?」
 ぎょっとした。そんな素振りを僕は見せていたのだろうか?いいや、初対面である彼女にばれるような行動は一切取ってはいない筈だ。
 僕は咄嗟に動揺を隠し、涼宮ハルヒに見せるような、そして彼女の兄に見せるような笑顔を顔に貼り付け、驚いたと言わんばかりの声をあげてみせた。
「いいえ!一体、どうしてそのようなことを思ったのですか?僕はあなたのお兄さんのことをダイスキだと思っていますよ」
 我ながら「ダイスキ」という言葉が上滑りをするのを感じたが、心外だという態度はうまく演技できたと思う。だから、彼女はきっと騙されると思っていた。
 しかし、彼女は僕の言葉を信じた様子もなく「ふ〜ん」と一言言っただけで、それきり僕の近くには近づいてこようともしなかった。


◆◆◆◆


「古泉く〜ん」
 彼女と会うのは約二ヶ月ぶり。
 成長期とはいえ二ヶ月やそこらで身長が変わることもなく、彼女はやはり小さいままで僕を下から見上げている。
「お久しぶりです」
「ねえねえ、古泉くん」
「はい?」
 彼女の大きな瞳が、この間のように僕を映しこんでいるのが見えた。
 僕はまた彼女と視線が同じになるように、しゃがんで彼女の言葉を待つ。
 二ヶ月前のおずおずとした態度はなく、顔中に笑顔を浮かべて、彼女は今度は声を落とすことなく、周囲に聞こえるくらいの大きな声でこう僕に尋ねてきた。
「古泉くんは、キョンくんのことスキ?」
 この間とは同じような質問でありながら、まったく正反対のことを聞いて彼女に僕は正直驚いた。
 ちなみに今回はこの場に彼の姿もあったので、彼は自分の妹の発言に驚き、盛大に眉を寄せてこっちに慌てて向かってくる。
 おっと。彼がこの場に来て、彼女の質問を遮る前に僕は答えを返してあげなければなりません。

「ええ、大好きですよ」

 にっこり笑って返してやれば、彼女は「そっか〜!」と大喜びして、赤くなりながら彼女の口を塞ごうとする彼の手を「きゃ〜」と叫びながら逃れて行ってしまった。
「ったく、こら、何恥ずかしいこと聞いてんだっ!」
 どたばたと兄妹の追いかけっこをしている姿を微笑ましく眺めながら、二ヶ月前の自分と今の自分の違いを噛み締める。
 きっと彼女は僕の言葉の意味の違いに気が付いている。同じ言葉で返した「ダイスキデスヨ」だったけれども、篭める感情は二ヶ月前のそれとは丸っきり違っていた。
 僕は、今だって子供は苦手だ。
 でも、彼の妹の彼女のことはちょっと好きだななんて思っている自分に、調子のいいことだと一人でそっと苦笑した。