金木犀は恋の香り

 古泉の部屋に入ると、ほのかにいい香りがした。
「なんだろう?」
「どうかしましたか?」
 古泉がコーヒーを手に持ってやってきたので、その微かな香りはコーヒーの強い匂いで消されてしまった。
「いや、なんかいい香りがしたんだ」
「それは、僕に対してですか?」
「バカ言え」
 そう言ってやるとしゅんとうな垂れた。どうせ、好きな人からはいい匂いがするらしいですよ。とか、甘い話題に持っていこうという魂胆がみえみえなのだ。この目の前の若人は。
「ん〜、なんの香りだっけかなあ」
「…、あ、コーンポタージュですか?」
「は?」
「いえ、今ゴミ箱にコーンポタージュ味のスナックの袋が入っているものですから、その匂いかと」
「そういう、美味しいいい匂いじゃなく、なんていうか、甘い香水みたいな匂い」
 どこか別のところでも嗅いだな、これ。
「僕は香水とかつけていませんよ」
「それはよかった」
 男子高校生たるおまえが、香水をふりかけている姿を見たら、俺はちょっとおまえから距離を置かせてもらうところだった。
「今後、決してつけないことに決めました」
 俺の言葉に、強い決心をした古泉を笑いながらコーヒーを飲んでいると、「にゃ〜ん」と可愛い声が聞こえてきた。
「お、シャミツー。お邪魔してるぞ〜」「にゃ〜」
 きちんと返事をしてくれたお礼に抱き上げると、先ほどの香りがシャミツーから香ってきた。
「ん? おまえ、いい匂いするな〜」
 くんくんとその柔らかい毛に鼻を押し付けて、俺はその香りの正体をようやく思い出した。
「こいつは、昼間は外に出してるのか?」
「あ、ええ。病気とか車とか心配だったので、あまり外に出したくはなかったのですが、元々外猫の彼女だったので外に出たがるものですから、きちんと予防接種をして昼間は外で過ごしてもらっています。でも、何故ですか?」
「こいつの毛皮から、金木犀の香りがするんだ」
 そう、先ほどから香っていたいい香りは、この金木犀の香りだったのだ。きっと、こいつのテリトリーの中に金木犀の木があるのだろう。俺の近所でも、この季節はすごい香りを辺りに振り撒いている。
 くんくんと匂いを堪能する。
「好きなんですか? 金木犀」
「ああ、好きだな。なんだか落ち着く。…そういやおまえ知ってるか?」
「何をですか?」

「金木犀は恋の香りなんだと」

「………そうですか。では、先ほど否定されましたが、やっぱり僕からも金木犀の香りがしていると思いますよ?」

 確かめてください。と言って、古泉が俺へと近づいてくる。
 仕方が無いので、くんと古泉の匂いを嗅いでやった。
「どうですか?」
「男子高校生の酸っぱい汗の匂い」
「………ひどいです」
 うな垂れた古泉の頭をぽんぽんと撫でてやりながら、こう付け加えてやった。

「でも、恋の香りは、した」