金色の月


 人間、思ってもいないことを言われると、急には言葉を返せなくなるものだ。
 それは、よく喋る奴だと彼に称されている僕とて同じで、僕は今、彼に言われた言葉になんと答えたらいいのかまったく頭が働いていなかった。
「びびったか?」
 何も言えない僕に不安を覚えたのだろうか。彼が笑いながら(その笑いは自嘲気味で彼らしくない笑いであった)滅多に逸らさぬ視線を、僕から故意に外した。
 いけない。彼の思うような意味で言葉を無くしたわけではないのに、僕が彼に対して嫌悪感を抱いているだなんて思わせてはいけない。
「いえ、…ちょっと吃驚してしまって…。その、本当ですか?涼宮さんの力で唐突にそうなってしまったとかではなくて?」
「あいつのせいとかだったら、なんとかならないかと長門にでも頼みに行くところなんだがな。残念ながら、これは我が家の長年受け継がれている遺伝なんだ」
 彼は何でもないことのように言っているが、実は、僕は今から五分前に驚くなと言われても無理な告白をされたのだ。

「俺さ、まあ、世間一般で言うところの、吸血鬼なんだわ」

 何の冗談かと思った。そして冗談ではないのだと彼の、真剣な顔を見ているうちにわかり、次には涼宮さんのせいかと考えたのだ。しかし、そのどれもが否定されてしまった。
「遺伝…、ですか?」
「ああ、母方の曾祖母ちゃんがそうだったんだ」
「曾祖母さんがですか?よもや、200歳を超えようというのに、その姿は若い少女のようだったとか」
「お前は、何かの漫画やSFものの読みすぎなんじゃないのか?」
 彼の話のほうが破天荒なものなのに、僕の発言を馬鹿にされてしまった。ちょっとひどいじゃないですか。
「うちの曾祖母ちゃんは一応、普通の婆ちゃんだったよ。長生きだったことは否定しないけれど、人の目に留まるほどの異常な長生きでもなかった。病気一つ、怪我一つしない人生ではあったがな」
 彼の言う吸血鬼像は、あまりにもファンタジー的なものからはかけ離れているようで、僕はやはり彼に担がれているのではないかと首を捻られずにはいられない。
「別に、担いでいるつもりはない。吸血鬼ってのが、語弊があるんだよな。でも、どうもそれしか表現できる単語が思いつかなくて」
「にんにくとか苦手でしたっけ?」
 この間、彼とラーメン屋に入った時に、彼はにんにくの増量を頼んでいたような。
「だから、そういう吸血鬼とは違うんだって。俺は太陽の下で朝比奈さんの水着姿と戯れることだって好きだぞ」
 む、こんな二人きりの時に、彼女の豊満な身体を思い出したりしないでください。僕は少し拗ねて、彼の二の腕を強引に引き寄せると、その唇を塞いだ。
 舌を差し入れて、その口内を探ってみたけれども、彼の歯が尖っているわけでもない。むしろ、そんなものがあったならば、とうの昔に気が付いていた筈だ。
「あの…、一体、どのあたりが吸血鬼なのでしょうか?皆目検討もつかないのですが」
「……あるだろうが、一大要素が」
 にんにく、太陽。ときたらば…
「吸血行為ですか」
「ああ」
 ぼりぼりと頭を掻きながら、先ほどのキスでなったわけではないらしい赤い顔で、言いにくそうに彼が口を開く。
「別に腹が減るとか、喉が渇くとかじゃないんだ。ある一定の条件が揃うと相手の血を吸いたくなる。しかし、それも我慢すればやり過ごせることなので、俺もあまり気にも留めていなかったんだが、問題が出てきた」
「問題?」
「ああ、その問題回避の為に、おまえとセックスをするのをやめようかと思って、こんな話をしだしたわけなんだが」
「はっ!?」
 今度も、僕の思考は止まってしまった。しかし、今回の彼の唐突な発言には、無意識の自己防衛が発動されたので、絶句して言葉を失うということは回避された。
 つまり、僕は彼の肩を掴んで叫んでいたのだ。
「何を言ってるんですか?ああ、やっぱりあなたは僕に嫌気が差して、そんな突拍子も無いことを言い出したんでしょう?嘘をついて僕から離れようだなんて、ひどいです!」
 ひどい、ひどいとわ〜わ〜叫んで、ちょっと涙すら浮かべながら彼に縋りつく。彼から別れの言葉を聞かされるかもしれないと何度か想像はしていたし、その時には彼の中で僕がいい思い出になれるよういさぎよく身を引こうだなんて思っていたのに、実際にできたことは泣き叫ぶことだけだった。
 情けなくたっていい。なんだ?潔くって。そんな馬鹿なことを考えていた奴は誰だ。
「お、おい、別に、嘘とかじゃなくて」
 縋りつく僕に戸惑いながらも、突き放すことはしなかったので、彼を逃すまいと僕は腕の中の檻を強固なものにするために、いっそう強く彼を抱き締めた。
「大体、この間、やっと一つになれた僕たちじゃないですか!」
「おまっ、一つにとか恥ずかしいこと言うなよ」
「わかりました。僕が下手だったから、幻滅したんですね?こうなったらあなたが満足していただけるよう、色々なテクニックを駆使して」
「黙れっ!」
 ヒートアップする僕の鳩尾を彼の拳が抉る。くっ…、油断していたせいで腹筋に力を入れられなかった。内臓をひっくり返されそうな痛みを覚えながらも、僕は彼を抱き締める腕は少しも弱めはしなかった。
「…その、おまえとセックスしたのが問題だったんだ」
「意味がわかりません」
 きっぱりと否定してやれば、「ああもう!」と叫びながら彼が覚悟を決めたようにぽつりぽつりと、彼がご両親に聞かされたという話をしてくれた。

「親父は、こう言ったよ。俺が中学に上がった頃に『いいか、一番好きな子以外とセックスするなよ。遊びでやれば、相手が不幸になる』ってな」
 それは、いたって普通の倫理観でもあるようなのだが、彼の母親が言った言葉は、それを意味するものだったらしい。
「母さんは『好きだなあ、って思える人以外には発症はしないから大丈夫だとは思うのだけれど、あんたが気持ちいいって感じると相手の血を吸いたくなるの。だから、相手にそんな感情を持つようになったら、理解できるような相手でない限り、離れなさい』って、真面目に言ってたな。その時の俺は、あんまり意味がわからなかったんだが」
 ふうっと、ため息をついて彼はやっぱり笑いながら、聞きたくない台詞を言ってくれた。
「だからさ、おまえと別れたほうがいいんだ」
「どうしてそうなるんですか?」
「ただ、血を吸うだけじゃなくて、血を吸われた相手がおかしくなるからだ」
「気が狂うんですか?もしくは、同じように血を吸いたくなるとか」
「………、それほど好意を持っていなかったとしても、血を吸った相手から離れられなくなるくらい、メロメロになっちまうらしい…」
 試したことはないから知らんけど、とぼそぼそと付け足した彼に、一体何が問題なのか僕は疑問しか頭の中に残らなかった。
 それに、彼の話を冷静に判断すれば、彼は僕のことが好きで、この間のセックスも気持ちいいと思っていてくれたというわけではないか。
「あの、意味がわかりません」
「だから!俺は嫌なんだよっ!いつかおまえの首を噛んで血を啜って、そのせいでおまえが催眠術みたいに俺から離れられなくなるなんて、耐えられん話だ!」
「いいじゃないですか、元より離れる気なんて一切ありません」
 つまり彼は、僕が惑わされて彼を好きでいるということが我慢できないというわけだ。まさか、そんなの今更だ。血を吸われなくても彼が好きで、離れることなんかできないと思っているのだから、何ら状況は変わらない。
「…いずれ、離れたいと思うかもしれないだろ?」
「それを決めるのはあなたじゃない。ねえ、いつか、なんて言ってないで今すぐ僕の血を吸ってください。どうすれば、そんな感情が湧くんでしたっけ?セックスをして、あなたが快感に身を投じれば、その牙は生えてくるんですか?」
「おまえ、本気かよ」
 本気だからこそ、僕はこうやってあなたをベッドの上に押し倒しているんです。良かった、部屋が狭いからベッドの上に座りながら話をし始めていて。
「僕は、あなたが好きだって、何度も言いましたよね?あなたもそうだったら、僕を噛んで…」
 そして、僕をあなたに縛り付ければいい。きっとあなたは僕を見捨てることなんてできないだろうから、ずっと側に置いてくれるに違いない。
 これは、僕をあなたに縛り付ける儀式じゃなくて、あなたを僕に縛り付けることになるのだ。
 その甘美な誘惑に抗う筈もなく、僕は彼の快楽を引き出すためにゆったりと舌を絡めるとることから始めた。
 夢中になって。僕に。