ぶっ生き返す!!


 学校から帰ってきて、俺は台所に立っている母親に「ただいま」と言い、その次には「今日、古泉んとこ泊まるから」と自然に口にできるまでになっていた。
「あらあ、またなの?勉強教えてもらうなんて言って、古泉君の邪魔してるんじゃないでしょうね?」
「ちゃんと教えてもらってるって」
 特進クラスにいるのだという古泉は、母親の信頼度抜群だ。しかも、こないだあった小テストが古泉の要点をついた指導のお陰で、平均点以上だったことも母親の機嫌を良くさせてくれた。
 だがな、母さん。俺たちの勉強時間なんて、それこそスズメの涙程度の時間しか行っていないんだ。だが、それでも俺は古泉の教え方は性に合うらしい。SOS団の活動によって下降線を辿っていた俺の学力は、古泉に教えられるようになってから幾分マシになってきていた。だから、こうやって気軽にお泊り会を許されている。たまに遅くなることもあっても、古泉と遊んでたのひと言でOKだ。
「あ、あんた。これ持っていきなさいよ。二人で食べなさい」
 これと言って示されたのは、母親の手作り餃子だ。
「冷めた状態で持っていっても美味しさ半減だから、あんたが古泉君に焼いてあげなさい」
「え〜」
「焼けるでしょうが。お世話になってるんだから、それくらいするのよ」
 お世話ね。世間的にはそう見えるかもしれんが、俺たちの関係は持ちつ持たれつの関係だ。勉強に関してだけは俺のほうが完全におんぶに抱っこではあるが、俺たちが頻繁に会う理由はそれではない。
 だが、それを母親に言ってパニックを起こさせるつもりはないので、俺は母親にタッパに餃子を二十個程詰めて渡され、それを手に古泉の家に向かうことになった。
 通いなれた道だ。いつの間にやら、その道はすっかり通いなれたものになってしまった。自転車に乗りながら、俺は何度この道を古泉のアパートへと向かっただろうか。どこを通れば近道か、どこにコンビニがあるか、どこの飼い犬が愛想がいいか。そんなことすら完璧に頭にインプットされるほど、俺はこの道を把握しだしていた。どれくらいの期間でそこまで覚えることができたかといえば、恐ろしいことにこの一ヶ月ちょいの期間であることは、この際脇に置いておきたい。
 爛れているだなんて言わないでくれ。俺たちは十五歳やそこらなのだ。思春期は性ホルモンの分泌も活発だということだし、寄ると触るとってことになっても仕方が無いだろ。
 …なんてな。もっともらしく言ってはみたが、既にそれだけが理由じゃないことに俺は薄々気が付き始めている。
 暗くなる前にアパートについた。どこに自転車を止めればいいかも熟知しているので、まごつくこともなく所定の場所に止めて、俺は古泉の部屋のチャイムを押した。
 反応なし。
 いないんだな。
 で、俺はそこで帰るわけではなく、尻ポケットからキーホルダーを取り出して、十日ほど前に手渡されていた鍵を取り出した。無断で扉を開き、家主のいない部屋にずかずかと上がる罪悪感は既に俺の中にはない。
 勝手に冷蔵庫開き、餃子を入れ、電子ジャーをの蓋をガコンと開いた。かぴかぴのご飯粒が数粒残っているだけだったので、俺は手早く洗い、米を冷蔵庫から取り出して、二人分の米を研いだ。ちなみにこの米は俺が買ってきたものだ。基本的に、外食とホカ弁で補っているこいつの食生活は、男一人暮らしならば仕方がないと思う。俺だって一人暮らしだったら、きっとそうするに決まっているのだ。しかし、母親があれやこれやと持たせるせいで、古泉の家にご飯が炊けていない状態が不便に感じられるようになってしまった。
 それこそホカ弁でご飯だけを買ってくればよいのだが、生来貧乏性の俺は勿体無く感じて、古泉と連れ立って近所のスーパーに米を買いに赴いたのだ。ついでに油やら、醤油やらをも一緒に買い足した。調理道具一式は揃っているくせに、調味料の類がほとんどなかったのは正直痛い。唯一あったのはマヨネーズくらいだった。
「マヨラーというわけでもないんですよ。たまに口に合わないお弁当だったときに、ちょっとかけると食べられるようになるんです」
 それをマヨラーと言うんだと、説教したのは記憶に新しいことだ。
 恥ずかしながら、俺たちはそんなしょうもない記憶を徐々に共有するようになっていた。
 炊飯ジャーにセットして、とりあえず二時間後に炊き上がるようにタイマーを入れる。あいつが何時に帰ってくるかわからないが、六時半頃なら飯を食うには丁度良い時間だろう。
 俺は定位置になりつつあるベッド前に座り込んで、手持ち無沙汰気味にこの間置いていった雑誌を手にとって読むことにした。
 …今日もバイトなんだろうか。
 ハルヒは少し調子が悪そうだったようだし、その余波があいつに及んでいるのは確かかもしれない。古泉はいつもあの神人とかいう、国民的アニメに出ていた神様みたいな化け物と戦っていると言う。戦っているという割には、一度も怪我をしたりはしてないようなのだが、時たま身体を辛そうに擦っていることがあった。
 俺はそんな時に、怪我でもしているんじゃないかとこいつの身体を入念に調べているのだが、特に血の匂いも擦り傷の痕も見つかることはなかった。
 ま、お互いに裸になってるんだから、隠しようもないわけなんだがな!
 見た目の外傷は何もないが辛そうにしているのは事実なので、俺はそんな日は古泉をとっとと寝かしつけることにしている。何をすることもなく、二人で寝るなんてことも何回かあるのだ。意外に清純だろうが。
 とはいえ、冷蔵庫の脇にある洗濯乾燥機の中に今日もシーツが入っているのは言い訳しようもない事実なんだがな。すごい頻度であれは洗われているな。うん。
 俺はふいに思い立ち、乾燥機の中から洗ってあるシーツを取り出した。アイロンなんかかけることもない。俺の母親はシーツにアイロンをかけるのが好きなようなのだが、一瞬にしてぐしゃぐしゃにされる運命なのだ。そんな無駄ことはせずに俺は清潔だけを心がければいいと、それをベッドの上に広げた。
 古泉が帰ってくる前に済ませないとな。
 おまえら、これからセックスをしますよう〜って相手と一緒に、ベッドのシーツをセッティングする恥ずかしさを経験したことがあるか?俺はある。あれは猛烈に恥ずかしいんだ。雰囲気に流されてそんなこんなに雪崩込む時は気にも止めない気恥ずかしさってものが、二人でぎゅっぎゅとシーツをベッドの端に押し込んでいる時に互いを襲うのだ。
 あれはキツイ。無駄に意識する。
 さて、シーツも用意してしまった俺は、益々何もやることがなくなってしまった。味噌汁もレトルトだし、本当にやることがない。ええい、あいつは何時に帰ってくるつもりなんだと、一応メールで帰りの時間を聞くことにした。
「…送信っと」
 送信ボタンをぽちりと押した途端、扉ががたんと開かれて、俺は不意打ちのせいでちょっと驚いてしまった。
「お、おう、おかえり」
「あ、ただいま…帰りました」
 お堅い返事を返すこいつのカバンから、ピロリロと携帯が鳴った。俺のメールが今届いたようだ。古泉は携帯を忌々しそうに取り出していた。
 はは、きっと機関から来たとでも勘違いしているに違いない。
 古泉はメールの中身を確認した途端、寄せていた眉を見る見る解いて、ちょっとハの字の形に下げてから俺を見た。そして、部屋にある時計にちらりと目をくれると「帰りは、六時半になります」と言った。
「口頭で返事かよ」
 やり取りがおかしくて思わず笑ってしまう。タイミングよく飯も炊けた。蒸らしに十五分だから、餃子が焼いている間に丁度良い加減になるだろう。
「今日は餃子なんだが、食えるか?」
「ええ、では僕はシャワーを浴びてきます。少し埃っぽいものですから」
「十五分で済ませろよ。俺は腹ペコなんだ。それ以上は待たん」
「五分で結構ですよ」
 そう言ってシャワールームに古泉は引っ込んだ。
「…ちっ」
 餃子をタッパから取り出しながら、俺は思わず舌打ちしてしまった。それは別に俺が料理を作り、古泉はその間シャワーを浴びるなんてどこぞの夫婦みたいなことをやっており、俺が奥さんみたいな役割を与えられていることへの不満から漏れ出たものではない。
 あいつは気づかれないようにしていたが、少し足を引きずっていた。シャワールームに入る瞬間に、痛みをこらえるような顔をしていた。
 また、バイトで何かあったのだろう。
 怪我はしていない。内部に損傷があるようでもない。それでも古泉は痛そうにしている。
「気づかれてないと思ってるんだ、あいつは」
 俺がどれだけ洞察力が鋭いか、あいつはまったく理解していない。
「あっつ!?」
 腹立ちまぎれに少し乱暴に水を入れてしまったせいで、盛大に飛び跳ねた油に俺は思わず叫んでしまった。
 するとバタバタとシャワールームの扉が開き、裸の古泉がすごい形相で「大丈夫ですか?」と駆け寄ってきた。ダサいことここに極まれりだ。
「…大げさだな。ちょっと油が跳ねただけだ」
「どこに?」
「いいから、まだ焼いている途中なんだから裸のブツを俺に押し付けてくるんじゃない。おまえのケツに油が跳ねるぞ」
 それでも俺から離れたがろうとしない古泉を、「さっさとその粗末なものをしまってこい」と悪態をついてどうにか追いやり、ようやっと閉じられたシャワールームの扉を確認して、俺は盛大にため息をついた、
「…俺のことより、自分のことを優先しろよ」
 人の怪我には敏感に構ってこようとくるくせに、古泉は自らの怪我を俺に悟らせようとはしない。
「はあ…」
 この線引きはなんだと思いますか、皆さん?
 セフレってこんな感じなんですか?俺にはさっぱりわからない。そもそもセフレってものがなんなのか、最近緒俺には曖昧だったりする。セックスするだけのお友達。直訳するとそうなんだろうが、俺たちの関係はそれだけなのか?
 それなら、あいつの俺を抱いた後のあの顔はなんなんだよ。
じゅーっ
 悶々と考えていると、餃子が景気のよい音を立てながら香ばしい匂いを上げ始めていた。その頃には古泉も着替えてきており、その悶々を宙ぶらりんに浮かばせたまま俺はご飯をよそい、焼きたての餃子とポン酢をテーブルの上に並べていった。

 ラー油がないのは物足りなかったが、それなりに満足してぐたっと後ろのベッドに横になった。さすがに洗い物までは俺はやらない。古泉がカチャカチャと音を立てながらシンクに汚れ物を持っていったが、すぐにはあいつも洗わない。俺が次の日も来るようなら洗ってあるのだが、いつも貯めっぱなしにしているのが常だ。ま、いいけどな。もう秋だし、臭くもならないだろう。
 俺がベッドにうつ伏せになって横になっていると、古泉の気配が近づいてくる。
「ご馳走様でした」
「おお、口に合ったか?」
「ええ、手作り餃子なんですね。とても美味しかったです」
 古泉の手がさらさらと俺の髪を撫でていく。
 甘ったるい。
 甘ったるいが、実際のところ悪い気はしない。そうこうしているうちに、古泉の唇が俺の項に当たった。ゆるいキスを繰り返され、俺はそっと首を持ち上げる。当然唇が近づいて、俺たちはキスをした。
「…餃子臭いんだろうな、俺たちは今」
「ははは、そうですね。お互いに食べているから気にならなくて良かったです」
 餃子の味のキス。しかも唇には油のベタベタした感触だって残っている。
 それでも、俺たちは気にも留めずキスを繰り返した。