今日も、こいつは死にそうな顔をして俺を抱いた。
ああ、くそ。餃子を食い終わった時までは、普通の様子だったのにな。怪我のような怪我じゃないような痛みも今日は大したことはなかったようで、シャワーを浴びた後では足を引きずることもなかったというのに。
なあ、古泉。どうやったら俺は、生きているおまえと抱き合うことができるんだ?
次の日、俺は頭痛を感じながら目が覚めた。まだ辺りは少し暗く、完全に夜は明けていない状態だ。それなのに俺が目覚めた理由とは、古泉の携帯が鳴ったからに相違ない。
暗闇に低く響く古泉の声。俺を起こすまいとの配慮なのだろうが、申し訳ないが俺は古泉並に携帯の音に敏感になる性質になってしまっていたのだ。俺も目が覚めていることに気が付いた古泉が「すみません」と謝った。
「閉鎖空間か?」
「ええ、こんな朝方から珍しいことですが、行ってきますね」
「探索のほうはどうする?休むなら、俺が伝えておくぞ」
「いえ、九時に集合ですから、それまでには間に合うと思います」
無理をして行くこともなかろうにと俺は思うのだが、SOS団の活動に誰か欠けることを快く思わないハルヒを考慮して、古泉は無理をしてでも九時に間に合うように方をつけてくるだろう。
「朝ごはん、食べれるくらいには帰ってきたいです」
一緒に食べましょう?と頬に口付けを一つ落として、古泉は着替えて行ってしまった。きっと下には、いつもの黒塗りのタクシーが止まっているに違いない。
「はっふ…」
俺は一つ欠伸をすると、またベッドの中に潜り込んだ。心配していても俺は何もできないのだ。それならばまだ朝と言うには早すぎるこの時間は寝るのが得策だろう。何も考えずに寝て、起きたら古泉がパンを焼くだけという朝食の用意をしている。
何もなかったかのように、そのまま一日を始めればいい。
しかし、世の中そんなに上手くいくわけがない。
俺が二度目に目を覚ました時に、古泉はまだ帰ってきてはいなかったからだ。
九時、駅前。
探索のある日はここに集まるのが常となっているのだが、段々寒くなってきた。そろそろ近くのファーストフードで待ち合わせに変更したほうがいいのではないだろうか?
俺はまだ帰らぬ古泉を気にはしたが、それでも愚図愚図と待っているわけにもいかずにここに集合した。古泉がこの場に直接来るかもしれないとも思っていたのだが、それは九時を過ぎてもなかった。
この日はハルヒも珍しく遅刻をしてきた。そして昨日同様あまり調子がよくなさそうだった。
「おい?大丈夫か?顔色があんまりよくないぞ」
「…うん、ちょっとね」
ハルヒにしては歯切れの悪い返答で、俺は古泉の不在を適当に伝え、身体の調子が悪いなら今日はやめたらどうだと提案した。
「う…ん、ちょっと喫茶店に入って、考えてから決める。もう、痛み止めは飲んだのに、今日は効きやしない」
最後のほうは忌々しそうに呟いた言葉だったので、俺は特にそれを聞きなおしはしなかった。
痛み止め、ということはやはりハルヒは調子が悪いのか。この調子の悪さが改善をみない限り、今頃古泉がいるであろうあの閉鎖空間も治まらないわけで、俺はやはりハルヒに安静にしてもらうよう話を進めることにした。
調子の悪いハルヒに手を貸そうとしたのだが、何故だか今日は微妙に避け気味にされ、ハルヒは今朝比奈さんに手を借りるように歩いていた。
なんだなんだろう?
喫茶店に辿り着き、俺たちはドリンクを一通り頼んでハルヒの様子を見守っていたわけなのだが、ハルヒは自身の痛みであまり口をきける状態ではない。
「あ、あのぅ〜、大丈夫ですか?」
「う〜ん、大丈夫じゃないわね」
「…今日は、安静にしているべき」
長門までそう言うだなんて、ハルヒは相当悪いんじゃないだろうか?
「お、おい。病院にでも行くか?」
そんなに辛いならば、土曜診察をしている病院にでも行くべきだと俺が提案しかけると、朝比奈さんはちょっと困った顔をして、ハルヒは「必要ないわよ、馬鹿キョン」と罵り、長門は「あなたは、少し黙っているほうが、彼女のため」とはっきり壁を作られてしまった。
お〜い、古泉よ。早く戻ってこないか?俺一人の男子部では寂しすぎるぞ。
ハルヒはやけにゆっくりとココアを飲んだ後、「うん、やっぱり帰る」と言ってくれた。
「そ、そうですね。今日は寒いですし、ちゃんと暖かくしてないと駄目ですよ」
「そう…」
「うん、ありがとうみくるちゃん。有希もありがとね」
女子部だけで何やら意気投合しているうちに解散は決まったらしい。俺が何を言い出すこともなく、朝比奈さんはハルヒを送ることになった。
「悪かったわね。古泉君もいないし、団の団長と副団長がこれじゃ示しが付かないわね」
「いや、いいよ。とりあえず調子が悪い時は安静にしてろよ」
「……うん」
ハルヒはやけに殊勝に頷くと、気遣う朝比奈さんと共に先ほど通ってきたばかりの改札をまた戻っていった。
「…ふう、どうしたんだ?あいつは」
俺は隣の長門に聞いてみる。しかし、長門はあまり明確な答えを返してくれなかった。
「心配しなくてもいい。それに今、涼宮ハルヒの状態についてあなたに教えるのは、彼女の意に反する。逆効果」
「そうか、お前がそう言うなら何も聞かないよ。しかしなあ、古泉がハルヒが調子が悪いせいで、あの閉鎖空間とやらに留まっているみたいなんだ。昨日も今日もで連日で少々可哀想な気もするんだが、いつぐらいに閉塞を迎えるかだけでも教えてくれないか?」
微妙な言い回しをしてしまったせいか、長門が俺をあの大きな瞳でじっと見つめる。
うっ、長門よそんなに見つめてくれるな…。おまえの澄んだ瞳が、この大人になっちまった俺にはまぶしすぎて直視に耐えがたい。
子供に赤ちゃんはどこからくるのと問われている父親の気分になりながらも、俺はなんとか長門の真っ直ぐに見つめる瞳から逸らさずに真正面か見つめ返した。これで、何がわかったのか、長門は「そう」と一つ頷く。
な、な、な、な、何が「そう」なのか、ちょっと教えてくれないかな?長門!?
「…涼宮ハルヒの体調不良は、昨日から発生している。通常の健康体ならば、明日には収束に向かう」
「明日か…」
「今日がピーク」
「!?」
長門はそう言うと、これ以上伝えるべきものは何もないと判断したのか、そのままふらりと帰っていってしまった。
俺はと言えば、長門の今日がピークと言う言葉に不安を感じて、家には戻らずに古泉の部屋へと戻ることにした。
帰っていればいい。
朝早く起こされたから眠いとかの理由で、ベッドの上でぐーすか寝ていればいい。俺は自転車を相当なスピードで漕ぎながら、ずっとそんなことばかりを考えていた。
しかし、扉を開けてもそこは俺が出て行った時のままの状態で、俺はわけのわからない不安にそのままへたり込んでしまうのだった。