ぶっ生き返す!!


「くっそ、もう三時じゃないか。あいつは一体何をやってるんだ?」
 俺が十時ごろに戻ってきてからやれたことといえば、昼飯用の焼きそばを作ったくらいだった。さすがに昼には帰ってくるだろうと二人前作ったのに、いつまでも奴が帰ってこないせいで、冷めた一人前が残っている。
 俺は、勿論食ったさ。食事に関しては時間に厳しいんだ。大体、あいつを待つ義理はないからな!
 それでも帰ってくるだろうと踏んだ十二時に帰ってこず、それが一時になり、二時になり三時になったあたりから、俺はすっかり落ち着かなくなっていた。うろうろと動物園のゴリラのごとく古泉の狭い部屋を歩いている自分に気が付いて、すとんと腰を下ろす。そんなことの繰り返しだ。
 メールは一回だけ送った。昼前後に。だが、返事もこないのに続けて送るのもどうかと思い、俺はいらいらとしながら何度も携帯を開けたり閉じたりしていた。そうしているうちに電源が一つ減ったのを見て、俺は慌てて携帯をいじるのをやめる。古泉とは機種が違うからチャージをできないのだ。
 いや、携帯が使えなくなったからと言って、どうというわけでもないんだが。もしも、家から連絡があった時に出れないとまずいというか、なんだ、もしも、もしも古泉がメールの返事を寄越すかもしれないし…。
 くそう!何だって俺はこんなに落ち着かないんだ!
 森さんか新川さんの連絡先だけでも聞いておけばよかったぜ。ひょっとしたら、神人退治後で打ち上げなんかやってるかもしれないし…。
 って、もしそうだったら、あいつを殴ろう。
 俺はそんな希望的観測に逃避しながら、それから一時間を過ごしたのだが、さすがに四時を廻った時点で我慢できなくなった。
 頭に浮かぶ解決策はたった一つしかない。古泉の部屋を漁ってはみたが結局機関への連絡先はついぞ見つからなかったのだ。そうなったら、俺が閉鎖空間に確かめに行くしかないではないか。
 あれはまだ存在しているのか?もうとっくに神人退治は終わって暢気に打ち上げ中なのか!
「長門頼みはほどほどにしたかったんだがな」
 長門はあのまま自宅に帰っただろうか?もしも図書館にでも寄り道中だと、捕まえるのに困難だろうな。少し薄暗くなってきた外に出て自転車に乗り込み、長門のマンションに向かう。
 まったく、俺は何をこんなに動揺している?
 自転車に制限速度があるのなら、俺は確実にそれを守ることなく自転車をひたすらに漕いだ。スピードの出しすぎで注意を怠っていたのは事実だ。
 俺は角道から飛び出したせいで、危うく一台のタクシーと接触しそうになった。けたたましいブレーキ音が辺りに響き渡る。
「…ん?黒塗りのタクシー?」
 見覚えのあるタクシー。古泉!?
「ちょっと、君、大丈夫?」
 しかし後部座席から顔を出したのは古泉ではなく、俺と同じ年頃の見たことの無い制服を着た女子生徒だった。俺は落胆して、「すみません」と謝るとそのままタクシーを避けて自転車に乗り込もうとしたのだが、何故だかその見知らぬ女子生徒に呼び止められた。しかも、俺の本名で。
「!?あんた、誰だ?」
「ああ、良かった。当たりね。私は…、う、んと名乗るのはちょっと駄目なんだけれど、古泉と同じ者、って説明でわかってくれるかな?」
「…機関か」
 彼女は俺が呟いた言葉を唇に人差し指を当てて、口にするなとジェスチャーした。
「本当は、古泉以外はあなたに接触しちゃいけないんだけれど、仕方が無いよね。偶然ぶつかってしまったわけだし」
 偶然?これが?本当に?
 だが、俺はそれを疑ってこのまま彼女を見過ごすわけにはいかなかった。
「あんた、古泉と同じ者だって言ったよな!赤い、丸い、あれか?」
「あのさ〜、もうちょっと可愛く表現できないかなあ」
「いいから!あれになれるのか?」
「まあね。これから、赤い丸いものになりに行くところなの。とりあえず乗って」
 俺は既に乗る気満々だったので、遠慮もせずに彼女の隣に乗り込んだ。するとタクシーは音も無く動き出し、目的地へと俺たちを運ぶ。
「本当は、私は今日は待機組みだったんだけれど、先に行ったメンバーがちょっと手こずっているらしいのよね。私、デートだったのに参っちゃうわよねえ」
 彼女は俺に聞かせているのか独り言なのか、返事のいらない言葉をぺらぺらと喋り出した。俺は彼女の言った「手こずっている」という言葉に異常に反応してしまって、心拍数がばくばくと上がるのを感じていた。いや、これはきっとさっきまで猛スピードで自転車を漕いでいたからに違いない。そのせいだ。
「ねえ、あなたはどうしてそんなに慌てているの?古泉が閉鎖空間に行くのはいつものことでしょ?」
「…時間がかかりすぎている気がする」
「たまにはそんなこともあるし」
「あいつは、帰ってきた後に、怪我も何もしてないのに、ひどく痛そうにしていることがある」
「…そうね、怪我、してるもの」
「!?」
 事も無げに言った彼女の顔を驚いて見れば、少し古泉に似た作りものの笑顔で返されてしまった。機関ってのは笑顔訓練でもさせてるのかね。くそ、忌々しい。
「最近の古泉は、私たちの間で負傷率ナンバーワンね。前はそうでもなかったのに、最近の彼は積極的に動きすぎるというか、傍目には少し荒れ気味にも見えるかな」
「荒れ気味?」
 ああ、やっぱり。こんな風に思ってしまうってのは、俺はそのことに気が付いていたからに違いない。
 きっと最近というのは、ここ一、二ヶ月の間の話なのだろうということも察しが付いた。
「ちょっと困るのよね。古泉はそれなりに戦力の中心だし、彼が調子悪いと私みたいに後方支援を主にしている人間まで中央に狩り出されちゃう」
 デートの時間を減らされる、と自分のことだけを考えているような発言をしていたが、俺にはわかった。彼女も仲間の古泉のことを案じているのだと。
「なあ、俺を閉鎖空間に連れて行ってくれないか?」
 こんな提案にも、彼女は古泉に似た笑顔で「そのつもりで乗せたに決まってるじゃない」と言ってくれた。
「古泉が馬鹿やらないように、説教してやってちょうだい」
と。

 タクシーがある場所に辿りついた。そこは住宅地の中の小さな公園で、前に古泉に連れて行かれた雑踏の中ではなかった。
「閉鎖空間が発生する場所は、その都度まちまちなのよ。さあ、私の肩を掴んでくれる?」
「肩、でいいのか?」
 古泉は俺の手を握って連れ込んだが。
「私と接触していればいいのよ。彼氏以外と手を繋いだりするの、嫌なんだよね」
 ふむ、なるほど。あんな雑踏の中で男同士、手を繋ぐなんて恥ずかしい真似をしなくてもよかったというわけか。やっぱりあいつは色々な意味で殴るに限るな。俺はハルヒくらいの身長の彼女の華奢な肩に手を置いて、そっと目を瞑った。すると彼女が笑う。
「目、瞑らなくても大丈夫よ」
「そうなのか?」
「ええ、特に問題はないわよ。単に、カラーの世界からモノクロの世界に視界が変わるから、それに戸惑うかどうかってだけだし」
 それでは、と俺は目を開けたまま現実世界から閉鎖空間へと侵入を試みることにした。
 色が一瞬にして褪せる。
「うわっ」
 時間の移動とは意味の違う感触に、俺は少しだけ眩暈を感じた。貧血にはなったことはないが、この目の前が一瞬にして変わるのは貧血に似ているような気がする。
「大丈夫?」
「…お、おう。風呂に長く浸かりすぎて、急に立ち上がったみたいな感触だ」
「なかなか冷静じゃない」
 くすりと笑った彼女の声を掻き消すように、凄まじい破壊音が響いてきた。空を見上げれば、スライムみたいな半透明の神人が住宅地を破壊している。
「じゃ、私は行くわね」
 彼女がすーっと宙に浮きかけたので、俺は慌ててそれを呼び止めた。
「あ、ちょ、古泉は!?」
「ちょっと、下に立たないでよ!スカートの中が見えるでしょっ!」
「わ、悪い…」
 スカートを慌てて押さえている彼女の真下にならぬよう、少し離れて立つ。エスパー少女は色々と大変なんだな。
「古泉だったら、きっとすぐに見つかるわ」
「そんなもんなのか?」
「そういうものよ。それに古泉もあなたがこの空間に入っていることに気が付いている。じゃあね、古泉がぼろぼろでも帰れるように頑張ってくるからさ」
 十五メートルほど宙を飛び、その後は赤い、丸いものにしゅんと姿を変えて彼女は神人へと立ち向かっていった。
 俺はそれを呆然と見送り、しばらくして彼女にお礼を言ってなかったことに気が付いた。